N教授が九○年に「ソフトパワー」論を持ち出したとき、それはかげりのみえた超大国・米国に主眼を置いていた。
軍事力や経済力ではない、もうひとつの見えざるパワーが米国にはある。
強制ではなく自然に引きつけられる魅力である。
教授はいま日本にこそ、そのソフトパワーの源る0である。
「第一に伝統文化であり、第二はポップカルチャーだ。
世界の若者を引きつける、いわゆる『グロス・ナショナル・クール』だ。
そして第三に非軍事の対外協力姿勢だ」という。
その日本の持ち味であるソフトパワーが首相の靖国参拝で損なわれるとしたら、ゆゆしい事態はさらに警告する。
「中国の首脳と日本の首脳は相手を批判することで、ある種のナショナリスティックな支持を得ようとしているのではないか。
危険なのは、これが首脳の想定の範囲を超えて制御不能になってしまうことだ。
米国も日中が敵対的関係になるのはみたくない」。
日中関係の悪化は、米国の頭痛の種でもある。
中国の台頭に期待してきたウォール街の視線も複雑になっている。
ゴールドマン・サックス・インターナショナルのR副会長は中国の台頭を「第二次大戦後、欧州復興、日本の発展に続く第三の波」と評価する。
さらに「中国は国内需要に資金を割く必要が出てくる。
歴史的にみて拡張主義に傾斜しなかったことを考えると、軍事的脅威にはならないだろう」とみそのR氏も日中間の緊張に目を向けざるをえない。
「心配しているのはエネルギー分野だ。
日中はともにエネルギー資源を求めている。
東シナ海はエネルギー資源が豊富だ。
問題はここで日中が協力できるかどうかだ。
潜在的な緊張はここにある」
中国の将来に疑問符を付ける識者もいる。
C大のJ教授の見方はこうだ。
「二つの不確実性がある。
第一は金融セクターの弱さだ。
中国の経済システムに大きな無駄があるのはそのためだ。
第二は全体主義の政治システムだ。
中間層が伸びれば、政治的自由を求めるようになり、中国は不安定になる」
そのうえでV教授は日中冷却がアジアに何をもたらすかを説く。
「私が日本のビジネスマンだとしよう。
中国政府が日本政府に敵対的なら、投資を分散化する。
中国だけが低賃金国ではない。中国が急成長で賃金が上昇すれば、労働力の豊富なインドが注目される。
英語と民主主義という利点もある。思慮ある投資家なら、ポートフォリオを分散化する」
このインド生まれの経済学者はインドの発展を加えたアジアの力学変化を展望する。
歴史認識をめぐる日中の冷たい関係がこれ以上長引けば、波紋は広がる。
A級戦犯を合祁した靖国神社参拝に首相がこだわり続ければ、戦後処理もからんで日米関係にもきしみが生じかねなそうでなくても、牛肉輸入や米軍再編など日米間には課題が目の前にある。
米欧が足並みをそろえるイランの核開発問題では、微妙なズレが懸念される。
穏健なN教授もこう指摘する。
日中関係が冷え込んでいる限り、東アジア共同体構想も遠のく。
V教授はいう。
「第二次大戦後、欧州の指導者たちは戦争をなくすため努力した。
そこには高逼な大構想があった。日本には戦中の悪い記憶があり、中国には懐の深さがない。
アジアが欧州から学ばなければならないのは、ステーツマンシップだ」
ポストKの選択は日本の行方を決定する。
N教授は「どの候補が近隣諸国との関係をうまく運営できるかだ」とする一方で、「どう行動を変えるかでもある」と述べる。
いつでも日中首脳会談を開けるようにならなければ、アジアの安定は築けない。
それは日本の国際的責務である。
日本はイランからの原油輸入を心配しているが、原油は国際市場で買えばいい。
イランの核開発で中東が危機になれば、原油市場全体に影響が出る。
あまり目立たないが、いま静かに「ユーロの時代」が進行している。
ユーロ圏の経済成長率は日米を上回る。
ユーロはいま世界最強の通貨でもある。
そういえば、ワールドカップの四強はいずれもユーロ加盟国だった。
第二次大戦後、疲弊した欧州がよみがえったのは経済統合を深化させたからにほかならない。
そこにあったのは、平和への強い政治的意志だった。
いまアジアは躍動と混沌のなかにある。
中国の台頭はアジア発展の原動力だが、一歩誤れば、偏狭なナショナリズムの応酬に陥る危険もはらむ。
そのなかで日米同盟を基盤にしつつ「アジアの時代」をどう築くか。
ユーロヘの道に学ぶところは多い。
K政権の最大の失敗は、アジアの時代が到来しようという歴史の節目に、肝心のアジア外交を空白にしたことである。
A級戦犯を合祁した靖国神社を首相が参拝し続けた代償は大きい。
日中首脳会談も開けず、アジアでの指導力を低下させた。
日本はアジアとのかかわりのなかで生きるしかない。
アジア外交を立て直せなければポストKの課題である成長戦略も揺らぐ。
アジア外交を官僚任せから政治主導に切り替えることだ。
欧州の経験をみれば政治がいかに大きな役割を担ったかがわかる。
欧州統合の父、JがEUのH点である石炭鉄鋼共同体を構想したのは平和の思想に基づいている。
軍事力と経済力に直結する石炭と鉄鋼を国境を越えて共同管理すれば「平和への保証を与えられる」(回想録)と考えた。
「フランスの興亡は欧州とともにある」とみるMと「ドイツの運命は欧州とともにある」と考えるA西独首相はすぐに意気投合した。
仏独協調はEUの基軸になったが、それを深化させたのはジスカールデスタン仏大統領とS西独首相によるパリ・ボン枢軸だった。
ユーロの前身となるEMSはそこから生まれる。
そして第三に、金融協力の強化である。
ECUのアジア版であるACUの構想が浮上している。
日中韓の財務相が検討を約束しアジア開発銀行などで研究が進む。
政治決断さえあれば、円、人民元、韓国ウォンなどを含むバスケット通貨はすぐにでも創設できる。
ACUが債券市場などで普及すれば資金融通の仕組み(チェンマイ・イニシアチブ)に続いて金融協力は新段階に入る。
この点だ。
バスケット通貨、ECUは債券市場などで活用された。
ユーロヘの道を切り開いたのも、冷戦の終結を受けた仏独協調だった。
C独首相はT仏大統領の要求に応えてドイツ統一の見返りにユーロ創設を決断する。
通貨主権をなげうって、ドイツのための欧州ではなく、欧州のためのドイツを選んだのだ。
ユーロヘの道に学べば、第一に「難しい問題から取り組め」というMの言葉を実践することだ。
紛争の起きやすい地域で戦略物資を共同管理する欧州石炭鉄鋼共同体の構想は、日中をきしませている東シナ海ガス田の共同開発に生きてくる。
その成果しだいで、環境・エネルギー共同体の出発点にもなりうる。
第二に、東アジアの広域でFTAを締結する。
アジアの経済閣僚会議で二階俊博経済産業相はASEANプラス3(日中韓)にオーストラリア、ニュージーランド、インドを加えた十六ヵ国による経済連携協定(EPA)構想を打ち出した。
中国の向こうを張る日本提案を大風呂敷に終わらせないためには、農業改革など国内改革を率先してみせるしかない。
指導力が問われるのはもちろんアジアがユーロヘの道をそのまま歩めるはずはない。
自国通貨を捨ててまで、単一通貨、単一金融政策の道は選べないだろう。
ACU創設は目の前にあるが、アジア版ユーロは、はるかなる夢である。
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